星に願いを。
ご心配をおかけしました・・・

新年早々泣いてばかりいたのは・・・
相棒猫の一匹、マタキチが亡くなったからなのです。

直前までとても元気だったのに、突然、下半身麻痺がおこり、
それからわずか一日半。医者の処置もむなしく、
家族が見守る中、魂を吐き出すような大きな吐息をひとつ、
そのまま息を引き取りました。

マタキチはもともと野良猫。
工場を建築中にたびたび顔を見せるようになり、「また来た、また来た」と職人さんたちに言われているうちに、
いつしか「マタキチ」と名づけられていました。

名前とは裏腹に、痩せた体と小さな顔、
切れ長の目に長いまつげの、品のいい女の子の猫。
マタキチは、はじめて会った時から、父や私の目をよく見て話を聞き、
理解をすると返事をする、ちょっと特別な感じのする猫でした。

よかったらうちにおいでよ、と父が声をかけたのがはじまり。

それからマタキチは、子供のコキチをどこからか連れてきて、
工場の仕事も、森の四季も、家族や訪れる人々との関係も、
ここにいることのすべてに「意味」を作り始めた。

首輪も紐もなく、部屋も外も自由に行き来できるのに、
どこにも行かず、私達家族のそばにいてくれた。
マタキチは、工場での作業中も見えるところにいたし、
森へ行くときも、打ち合わせの席や、食事の席にも、必ず一緒についた。
家族が座ればひざに乗り、
仰向けに寝ればおなかに乗り、
うつぶせに寝れば背中に乗って、一緒に眠った。

マタキチは美人だね、と言うとニッコリしてのどをならし、
今日はなんだかブサイクだね、と言うと、ネコパンチを飛ばした。
本当は人間の言葉はなんでも分かっていて、
でも知らないふりもした。


うちに来たときはすでに成猫。それから10年。
決して若くないことは、事実。
いつか別れの日が来ることをどこかで分かっていたのは
マタキチの方だったのかもしれないと思う。

マタキチはここ一年、毎日私のそばに来ては、
私の目をやさしい瞳で見つめていた。
軽く触れただけで、いつだってのどをならして、
細くて小さな手でギュっと私の体に抱きついてきた。
それは、亡くなる直前まで・・・。

そのひとつひとつが、同じ時間に存在して、思いやり、
一緒にいられることの幸せを確かめていたように感じてしまう。


マタキチが亡くなった日は、雲も風もないおだやかな晴天。
抜けるような青空。
大好きだった、ニャンコ日和。
マタキチの小さな体には、透き通った冬の暖かい日差しが差し込んで、
美しく輝いてすら見えた。

その太陽が西の空へ落ちると、またたく星空に。
・・・本当に天国へ行ってしまったんだ。
悲しい現実に、また大泣き。

工場には10年ぶんの思い出がどっちを向いても残っていて、
まだまだ私の涙は止まりそうにないけれど、
どうかどうか、安らかに眠ってね。

10年間ありがとう、マタキチ。
ずっと、忘れないよ。






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